二宮金次郎(5) 金次郎の苦悩
 さて、新田を開発するには、用水を掘らなければなりません。用水を掘るには人足が必要で、現金が必要・・・補助金が・・・この補助金を否定していますから受益者負担型の労働を強いたのでしょう。まあ、郷里の屋敷や土地など売り払ってこちらに来ているようですから一応資金はあったのでしょう。
 まあ、中間搾取者を排除することでお金の効率利用を図った。そして、現金を酒や博打に使わせないために婦人の地位向上を図ったようです。
 しかし、基本にあったのは長い目で富貴を考えるというものを植え付けていったということなんでしょう。これは、全てのプロジェクトにいえることですね。人を納得させる計画と、その計画で数年後にはどんなものが見えるのか、そして、それが実践可能であることを見せないと人間はなかなか納得しませんからね。
 結局、率先してさまざまなことを行わなければならなくなったようです。自ら荒地の開墾など指揮し、農民とかわらぬ衣食をし質素倹約を実践します。これによって少しずつ同調者が現れるようになります。
 多分、となり百姓がいたんですね。かつての豊かな農村には篤農家が1軒にとなり百姓がいれば成り立っていたようです。つまり、1軒の熱心で成功している農家があり、それを真似して働く農家群の存在です。あの人のやるとおりにすれば間違いない!という手本とその確信があれば村は豊かになるというものです。
 結局自ら指揮し、自ら成功していることを印象付け、自分たちも同じようにすれば豊かになれるということですね。将に手本は二宮金次郎!ということになるわけです。
 さて、同調者を手っ取り早く見つけるのは?貧困から脱却したいと強く願っている人で、それを成し遂げるだけの意思と力がある人を探すことです。
 いま、種をまき、一生懸命耕作すれば秋には大きな実りが得られるのに・・・と嘆く人で、今まく種を持たず、今耕す田畑を持たない人を探せばよいわけです。
 かつて金次郎も、田畑を失い、古い用水路内の土地で、人の捨てた苗を育て収入を上げたりの才覚によって地主への道を歩んでいきますが、多くの人にはその才覚が乏しいために成功の緒につけないということを知っていたわけでしょう。そして、正直で勤勉ではあるが、度重なる災害によって貧困に瀕している農民に対して無利息の金の貸付を行い、金次郎イズムの賛同者へと仕立てていきます。
 さて、ここでは人物評価が問題になりますね。この人物は間違いないというものに対して投資をしないといけないわけです。そのために、面白い手法をとっています。勤勉なものの表彰とその勤勉者を、女子供を含む領民の全ての家に投票権を与え選ぶというものです。価値観の異なる人間の集団に選ばせれば平均的な勤勉者が見つかるというわけです。
 よく目を見開いて眺めると、埋もれた勤勉な人間も見つかるというものです。特に隠れた良い行いを見出すことが善政につながるというわけですからね。これは非常に重要なことです。人は良いと評価されることでかえって目立つ善行をしようとしますが、それは、見せ掛けの善行である可能性があります。心からの善行を見出すというのは仁政のもっとも重用な課題でもあるからです。
 しかし、金次郎のやり方は、結構過酷ですね。人減らしはしませんがリストラですから反対もあるでしょう。多分、合理化反対!のむしろ旗でも上がったかも知れません。合理化を進める金次郎に対して、非合理を愛する旧来的な人間が存在するのはいつの世にも共通のものであるはずですからね。
 しかし、時々見かける合理化反対というスローガンってちょっとおかしなものです。裏返すと、非合理賛成!を唱えているわけですからね。非合理であっても現状を維持したいという保守的な頑迷な人間がいかに多いのか、また、合理化を叫ぶ人間がいかに身勝手かを示しているのかも知れません。
 多分、改革派と保守派の対立抗争があったと思われます。この対立抗争が最高潮に達したのがたぶん、改革の実が上がり始めた時期であると思われますね。
 だって改革派は希望を持って自分の事業に邁進し、成功が近いと確信すると大きな力を得ます。そして、この時期、保守派は最後の抵抗に入ります。だって、改革派が成功すれば自分達の反対と反対派という派閥の消滅を意味しますからね。どうやらこれが、文政11年(1828年)頃のことのようです。さすがの金次郎も辞任を申し出ていますが却下されます。桜町領に移住して5年目のことです。
 そして、万策尽きた金次郎は成田山へ赴き21日間の断食を行い願をかけます。どうやらこれが改革派と保守派の抗争に良い影響を与えたようです。
 強引な開墾や労働政策の実が上がっていることを双方に確信させる良い契機になったようです。今、金次郎を失うと賛成にしろ反対にしろ、そのことで求心力が金次郎に存在していたことに気づくわけですね。改革派は信じたことの中心を失い、反対派は反対の対象を失うわけですから、特に反対派の結束が落ちます。改革派はどうしても金次郎が必要なわけですから結束は固くなります。そこで、新たな評価が生まれたのでしょう。
 結局、折りしも満願の日に、桜町領の領民な代表団が金次郎を迎えに成田へやってきます。これ以後、反対派は影をひそめていきます。そして、天保2年(1831年)桜町領第一期仕法の完了を大久保忠真公に報告する運びとなります。
 さて、反対派というのはどういったものなんでしょう?賛成というのはそのことを行うという義務を生じますが、反対はそのことをする義務を免れるということですね。単なる反対は何もしないぞ!という表明であるともいえます。反対して何をしたら良いかの代案を出し、それに賛成する反対派というのが正しい反対の姿勢ではないかと思われますが、いかがなものでしょうか?
 まあ、人を動かすというのはなかなか大変なことであるとわかりますね。そして、反対派を封じ込めるには長い年月が必要であるということです。大プロジェクトは5年くらい先を眺めて実行しないといけないということでしょう。そして、みんなが同じ夢を見るようになると上手くいくということをあらわしているのかもしれませんね。